池袋から新宿コミュニティーセンターで宿泊

Case Study 『Studio Kanons Diary』 さんの場合

地震時最寄駅: 池袋
帰宅・待機最寄駅:新宿
帰宅までの時間:
距離:br>

3・11帰宅難民初体験

池袋の書店で地震に遭い、高田馬場駅でタクシーを待つも長蛇の列と渋滞のため、あきらめて新宿コミュニケーションセンターで夜を過ごし、翌日帰宅されています。

池袋から高田馬場駅まで徒歩で小1時間。
駅前のTAXI乗り場には、この時40mほどの列だった。
他の場所の被害状況などは露知らず、ここで待つことにした。
待っている間、善意ある年配男性が、待つ順番カードを作って配っていた。
その行為をなじる強風でカツラが脱げそうになっている老婆がいた。
人の善意を感謝できない人もいるのだ、と思った。

ロングブーツを履いて厚着をしていたけれど、待っている間、足踏みをして寒さをこらえた。
後ろに並んでいた男子が私を含む近くの人にカイロを配ってくれた。天使のような人に見えた。
また他の女性は今日の店しまいが終わった駅前パン屋さんがくれたパンを配ってくれた。

非常時に助け合いができるのは、日本人特有の気質ですね。
外国ではこういう非常時には必ずといっていいほど暴動が起こっています。

作家兼東京都副知事の猪瀬氏のつぶやきナビを覗いて頼りにした。

公的な立場の人のTwitterは情報の信頼性が確保されていますので有益な情報です。

TAXIを待つ人の列は100mを超えていた。TAXIは、暗くなってからは全く来なかった。
倒れそうになった老人を数人見た。駅前ビジネスホテルは既に満杯。
喫茶店は8時で閉店。かろうじてマクドが開かれていたが、お客は21時で出されているのが見えた。

自転車で通りすがりのW大学生男子が駅前交番の警察官をなじった。
「この状況を見て、あなたがたはなんとも思わないのですか」と。
確かに、交番の警官たちは、すぐ目の前なのに立っているだけだった。

その大学生から避難所が近くにあるのを知って、同一方向の女性3人で新宿区コミュニティセンターへ(歩いて15分)行った。

コミュニティセンターに到着。
大型テレビで東北地方の大地震のことの重大さを知った。
自然の脅威にひれ伏すだけだった。

翌朝、電車の運行再開を知って高田馬場駅から帰宅されています。
ブログの最後はこう結ばれています。

3・11の歴史的大災害、私は生涯忘れることはできないでしょう。
しかし地震列島日本はどこに地震が起きてもおかしくない国です。

今回の大震災から学びとって普段からの備えをしていきたい、と思います。

戦後、焦土と化した日本を先人たちの知恵、技術や努力で立ち直らせた日本です。
頑張っていきたい、と思っています。

池袋から新宿コミュニティセンターへの徒歩ルート

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