市ヶ谷で宿泊

Case Study 『鉄道紀行舎のWeblog』 さんの場合

地震時最寄駅: 市ヶ谷
帰宅・待機最寄駅:日吉(市ヶ谷近くの某大学に避難)
帰宅までの時間:
距離:

2011/3/11/14:46、悪夢のような出来事に思うこと

地震後、避難先の公園にいると、大きな余震が続く度に、空にはヘリコプターばかりが増えていく。爆音をまき散らす半面、彼らは下界の人間に情報の一つすら与えてくれません。私のような大して被害がなかった者ですら、うるさくて不愉快に感じてしまいました。
 被害の現状把握や報道という面では理解できますが、もし、死者が多数出ているような状態でこれをやられたら、怒りを感じるのではないでしょうか。今回実感させられました。

近くの公園に避難された後、会社から帰宅するようにとの指示が出されています。

 その後、避難先の公園で我々は、
「会社のビルは危険だから全社員は即刻帰宅を。
会社ビルには戻ってはならない。後は自治体の千代田区の判断に従うように」
などとの命令を下されてしまいました。

 鉄道全線が完全停止しているにもかかわらず、ビルだって新しいのに……。

多数の遠距離通勤の社員は都心をさ迷う羽目になりました。

これはちょっとひどいですね。

結局、帰宅はあきらめ、喫茶店などで時間を過ごした後、大学に避難して一夜を過ごされています。

 会社から見放された我々は、同じく「帰宅難民」となった会社の長距離通勤者とともに、最初は近所の喫茶店などで時間をつぶしていたのですが、そこも放り出され、最後に「避難」したのは近所にあった某大学でした。

 そこでは食事や毛布や情報など、通りがかりの一般市民である我々も助けてくれました。翌朝に電車が動き出すまで快適な建物のなかにいさせてもらいました。今後この大学には足を向けて寝られないな、そんな心境を持つくらいに感謝をしています。

市ヶ谷から日吉への徒歩ルート

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